2013年御翼3月号その4

孤児だったスタインウェイピアノの創立者

 世界最高のピアノメーカーの一つとされるスタインウェイピアノは、ヘンリー・スタインウェイによって創立された。一七九七年、神聖ローマ帝国(現在のドイツ)の北西部の小さな村で、ヘンリーは、森を守る林務官の息子として生まれる。祖父は炭焼き職人であった。ところが、母はナポレオン戦争による食糧難で死去、ヘンリーが十五歳の頃、残った家族も森で落雷に打たれ、またその火災により全員死亡してしまう。孤児となったヘンリーは、二十一歳まで軍隊生活をした後、木工職人となり、教会用オルガン作りの見習いを始める。音楽が大好きになったヘンリーは、教会のオルガン奏者となる。そして、パイプオルガンの製作と修理に携わるなかで、彼は当時流行しつつあったフォルテピアノ(現代のピアノの標準的な構造が確立される以前の、十九世紀初頭までのピアノ。十九世紀半ば以降のピアノはモダンピアノと呼ばれる)に感動を覚え、ピアノ作りに没頭する。そして、すべて自分一人で試作し、十三年かけてグランドピアノ第一号を完成させる。ヘンリーは、響板に使う木材の選び方から鍵盤の切り出し方、弦の張り方、ハンマーの作り方、均一に音色を揃える方法、調律等、 決して妥協を許さず、常に最高の仕上がりを求めた。父親が林務官、祖父が炭焼き職人という、木材に親しんだ家系であったため、ヘンリーも幼い頃から木や木材に親しんでいたことが、ピアノ造りに貢献したのだった。また、ピアノ作りの時期も非常に良かった。一八世紀に始まったピアノの進化、ベートーベン、シューベルト、シューマン、ショパン、リスト等により、ピアノが楽器として完成の領域に入る頃が、スタンウェイがピアノ作りに専心した時期であった。
 スタインウェイのピアノはドイツ内で最高級の物と言われるようになるが、当時ドイツは政情は不安定で、大飢饉も起こり、音楽どころではなかった。ヘンリーは新天地アメリカに移住、一八五三年、一家でスタインウェイ&サンズを創業し、ニューヨークでピアノの製造・販売を行うようになる。アメリカでも、スタインウェイピアノは、「素晴らしい音の力、低音部の深みと豊かな音、中音部の柔らかさ、そして高音部の輝かしいまでの純粋さ」との高い評価を受ける。木材に力を入れたスタインウェイであるが、それ以外にも彼らは改良を積み重ね、百十以上もの特許を生み出し、ピアノの発展に貢献した。
 ドイツでは、複数の会社がピアノを製造していたが、第二次世界大戦で工場が破壊され、敗戦国となったドイツのライバル社は衰退していった。そして、戦勝国となった米国に渡っていたスタインウェイ社が、世界一のピアノ製造会社となる。その後、スタインウェイ社の経営にプレッシャーをかけたのは、ヤマハやカワイに代表される安価で安定した品質の日本製ピアノであった。そして、スタインウェイ社は一九七二年、CBSに買収されることになり、経営はスタインウェイ一家の手を離れる。しかし、地球温暖化で年々入手し難くなっているピアノの響板に適した木材は、スタインウェイが確保しているとも言われ、スタインウェイピアノは、高価であったとしても“可能な限り最高のピアノを”という創業の精神を実現している。
 スタインウェイ・ジャパン株式会社資料には、「今日の演奏会で音楽愛好家の心を美しい響きで満たすことができるのも、幼くして孤児となったハインリッヒ少年があらゆる困難に打ち勝ち、常に希望を失わず頑張った不屈の精神と、心から音楽を愛する気持ちがあったからです」とある。その背後には、サタンという「敵」の手から救い出してくださる神の働きがあった。

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